先日、FacebookアカウントとFacebookメッセンジャーを削除したんです。
10年くらい利用していたんですが、ここ数年、Facebookはまったく使わなくなってしまったし、Messengerで昔からの友人・知人から連絡がきても、読む気が起きない、、、
というのが大きな理由。
昔からの友達って違和感がある・「合わない」と感じているけど「義理で繋がっているだけの人間関係」って場合が多いんじゃないでしょうか。
もくじ
たいして関心の無い人からの連絡や投稿が心から煩わしいと感じてしまった
家族や数少ない友人や仕事関係の人とはLINE、slack、chatworkを主に使っています。だから、もともと日常的にFacebookメッセンジャーは使ってなかったんですよね。
しかし、Facebookだけで繋がってる人たちからメッセンジャーに突如として「久しぶり~」や年明けの「あけおめメッセージ」はくるんですよ。
で、ですね、そういう人たちに対して関心が持てなくなっちゃった。
好きとか嫌いとかってわけじゃなくて。
未読のメッセージがたまっていくにつれ、心から煩わしいと思ってしまいました。
これは私の問題。メッセージを送ってくる人が悪いんじゃなくて、私のキャパシティが狭すぎってだけ。
あと、画面に突然現れる自撮りって苦手なんですよ。
ネットに顔を晒すことができる人のメンタルも理解できませんし。
(自己顕示欲丸出しの誉め言葉を待っているであろう投稿をみると「遠いところで幸せになってください」と価値観の違いをひしひしと感じます)
ひっさしぶりにFacebookにログインしたら、あけおめの挨拶に便乗した自撮りと集合写真の投稿ばかりで軽い胸焼け起こしそうなう。
…もう見ない。
— ふくちゃん@シドニー引きこもり (@fukuchan5818) January 3, 2020
人間関係は流動的なもの、昔からの友達に違和感を覚えるのは当たり前
その時のライフステージによって人間関係は流動的になるのが当たり前なんですよね。
勉強や趣味・仕事に熱中している時期もあれば、子育てに奔走している時期、恋人との時間が何より楽しい時期、って感じで。
また経済状況や住んでいる場所、時間の余裕にも友達関係って変化していくんじゃないでしょうか。
だからその都度、心地よい人間関係ってのは変わっていくもんなんです。
「ずーっと昔からの友達関係と仲良し」って人はそれはそれで素敵なこと。
でも、自分が成長(または後退)していれば既存の人間関係が合わなくなるのが自然ですよね。
Facebookは義理の関係、Twitterは本当に好きな人と繋がれる
Twitterの心地よさを知ってしまったから、義理人情のFacebookが窮屈になったっていうのもあります。
Twitterって自分の好きな人と繋がれるし、そこに義理だのしがらみがないから、いとも簡単にその関係を終わらせることもできます。
(「この人とは合わない」と思ったらフォローを外す・ミュート・ブロックでタイムラインの平穏をきっちり保ってます)
ツイートや記事の拡散力もFacebookの比になりませんし、逆につまらないツイートには反応されません。その正直さがありがたいんですよね。
現実で知っている人だけで繋がっているFacebookだとある程度の社交辞令やお世辞ってあると思うんですよ。いわゆる「義理いいね」「いいね互助会」(だから勘違い女がせっせと自撮りを載せてしまうに違いない)
ちなみに、こちらの「海外ブロガーのブログリンク集」で紹介させていただいたブロガーさんとは全員ツイッターで仲良くさせていただいている方たちです。
でも、「今」は交流があっても、先のことはわかりませんし、今の関係がずーっと続くってのはまずない、と思っています。
まとめ:人間関係をリセットすることも時には必要。
「人間関係リセット症候群」という言葉が使われ始め「あ、これ私のことじゃん」と。(※「症候群」という名称ですが病名ではなくネットスラングです)
電話番号を変えたり、LINEのアカウントを変えたり、今回のようにFacebookを削除したり、と、時々むしょうに「人間関係の断捨離」をしたくなってしまうんです。
もともと一人でいる方が気が楽なので友達の必要性もよくわからないし、誘われた瞬間「どうやって断ろう?」と考えてしまう思考回路。
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自分の時間と心を守る手段は極端すぎるくらいがちょうどいい。
違和感がありながら義理で不毛な人間関係を続けるほど無駄なことはありません。