国際結婚・国際カップルは日本人同士の夫婦と少々異なる「老後の不安」を大なり小なり感じることがあるのではなでしょうか。
一般的に言われている「国際結婚・国際カップルの老後の不安」は私たちにとってまだ現実的ではなく、「まぁなんとななるだろう」と将来のことはぼんやりとしかとらえることができません。
「将来どこに住むのか?」「帰国した方がいいのか」「親の介護や看護は?」「医療や年金はじゅうぶんか?」といったことを国際結婚組は不安に感じるようですが、私たちは「その時考えればいいじゃん?」と楽天的に考えていました。
でも、うっすらと不安を覚えたのが「言葉」「コミュニケーション」「意思疎通」
それではいってみましょ~。
国際結婚・老後の不安を考えたきっかけは「パートナーの寝言が英語以外の言語」
私たちは日本人とマレーシア人のカップルで、オーストラリアに暮らし、普段のコミュニケーションの8割は英語です。(あとの2割は日本語、マレー語、広東語、北京語をごちゃまぜ)
マレーシア人はマルチリンガルの人々が多く何か国語もずるいくらいに流暢にあやつる姿はほれぼれするんですよ。
でも、寝言もマルチリンガル。時にはマレー語、時には福建語、たまにおかしな日本語が混じったりすることも。
で、ふと思ったんですけど、寝言なら理解できてもできなくても問題はありませんが、彼が年老いて認知症になったり、言語中枢が退化しちゃったら、
私たちコミュニケーションとれるの???
意思疎通できるの???
と、うっすら考えるようになったんですね。
まぁ、老後も2人で暮らしているか?なんてわかないですけどね。
国際カップルってめちゃくちゃ離婚率高いですから。私が数年後に独り者になっていても何の不思議もないわけってこと。
老後まで一緒にいると仮定して話を続けましょうか。
私は年をとったら英語は今と同じように話せるのだろうか?
私が年老いた時、今と同じように英語で会話ができているか?ってのも不安要素の1つです。
いやね、現時点で「物忘れ」とか「注意力散漫」には定評がある私。一時帰国した時に本気で「脳ドック」の検査を考えました。
言語を司る脳の部分と、「物忘れ」「注意力散漫」を司る脳の部分は違うのでしょうけど、普段の生活の中で「みんなと同じことがなぜ私にはできないんだろう?」と感じることも多くて、何らの欠陥があるんだよなぁ、きっと。
そんな私が今よりも年老いたとき、すらすら英語が話せるわけがないじゃないか、と思うんですよ。
今でもすらすらぺらぺらってわけじゃないですけど。
と、パートナーのタムタムは現在、日本語学習中。どうやら、私の方が先にボケると信じている様子。
早く偉い人が「ほんやくこんにゃく」(ドラえもんの道具)を発明してくれればいいんですけどね。
まとめ
現時点での国際結婚の老後の不安はしいて言えば「言葉」なんですよね。
そこまで深刻に考えてはいませんが。
オーストラリアで暮らしていれば、年金や医療・福祉も問題ないでしょう。たぶんね。
先のことに思いわずらうことなく、今日を楽しく過ごすことの方が私たちにとっては大切。「困った時に困ればいい」という計画性なしの楽観的な姿勢で過ごしていきます。