夫婦間で味覚の違いや食の好みが合わないことは小さな問題に見えますが、毎回の食事でどちらかが一方が我慢している状態は長く続けることは困難です。
日本国内でも関東と関西では味付けは違うし、ましてや国際カップルとなれば生まれた国や育った環境がまったく違うので「味覚の歩み寄り」は国際結婚の必須項目となるのです。
夕飯用の肉じゃがをコトコト煮込み中。私にとっては傑作なんだけどマレーシア人パートナーは七味唐辛子をどばどばかけて食べるんだよなぁ。
同じ人間なのに出身国が違えば味覚が変わる。
国際カップルは味覚の歩み寄りも必要だよね。#おうちごはん #国際結婚 #オーストラリア生活 pic.twitter.com/In8t4lsDpW
— ふくちゃん@海外在住引きこもりブロガー (@fukuchan5818) 2018年6月13日
マレーシア人パートナーのタムタムと暮らし始めた当初、
と、料理が趣味の彼はなんとも心強いことを宣言してくれました。
しかし、私はタムタムの作る料理は辛すぎたり、慣れない味がしたり、日本の食文化を誤解していたりで、
と食事の時間に「どうしたものか、、、」と考えることがよくありました。
共同生活が長くなるにつれ、「味覚の違いの歩み寄り」についてはクリアできてきたんじゃないかな。
今回はマレーシア人パートナーとの味覚の違いや食文化の誤解の一例や、対処法についてお伝えします。
もくじ
辛い物、辛い調味料は「あとのせ方式」を採用
マレーシア人のタムタムはお料理は基本的に辛くないと物足りなくて、肉じゃがにもおでんにもパスタもなんでもかんでも辛くします。
辛いものの食べ過ぎでお尻のトラブルを引き起こしたこともありました。
お料理の途中で辛い調味料を入れるのではなく、タムタム用の料理を盛り付けた後に「鷹の爪」「七味唐辛子」など辛い調味料をあとのせしています。
ここでのポイントは、
「せっかく味付けしたのに、、、」と嫌な気分にならないこと。
煮物や焼うどんなどにどばどば唐辛子をかけられても、
とサラっと流しましょう。
献立に困った時は味付けもへったくれもない手抜きディナー
手抜きディナー。
でも、オーストラリアの平均的なディナーはこんなもんじゃない?
日本のお母さんたち、頑張りすぎないで。 pic.twitter.com/ax1LNJ3euT
— ふくちゃん@海外在住引きこもりブロガー (@fukuchan5818) 2018年8月8日
「手抜きディナー」またの名を「素材の味をいかしてるディナー」だったら、味覚の違いがあっても問題にはなりません。
茹でた野菜や目玉焼き、フライドポテトだったら簡単ですぐにできるし、味付けを気にしなくていいので、面倒くさい時、忙しい時のディナーはこんな感じです。
日本の食文化を誤解しているエピソードと対処法
日本人はどんなタイミングでも寿司なら無限に食べれる、と考えているふしがあるマレーシア人パートナーが大量の寿司を抱え帰宅。
シドニー現地時間、もうすぐ深夜0時。
さて、どうしたものか… pic.twitter.com/KcvvABDXz6
— ふくちゃん@海外在住引きこもりブロガー (@fukuchan5818) 2018年8月2日
日本人=寿司好き、と勘違いしている外国人はうちのタムタムだけではないはず。
彼一人で出かけると高確率でお寿司のお土産を持って帰ってきます。
それが夕飯を食べた後でも、深夜でも、「食べちゃおっかな」という気持ちになるので、やっぱり日本人はお寿司が好きなのでしょうね。私の食い意地と胃の大きさも関係しているのかもしれませんが。
小腹が空いたので、おにぎり作って食べようとしたら、「俺って気がきくだろう?」みたいなドヤ顔で、ワサビと醤油を添えてきたマレーシア人パートナー。
外国人は寿司とおにぎりの区別が難しく感じる人が多い。
こんな時、あー、私、外国人と暮らしてるんだったと改めて思い知らされる。 pic.twitter.com/TUAo09Km2D
— ふくちゃん@海外在住引きこもりブロガー (@fukuchan5818) 2018年8月15日
お寿司とおにぎりの区別がつかないタムタムはおにぎりに対して「醤油とわさび」が必要なんじゃないかと勘違いしていたようです。
このような食文化の誤解に遭遇したときは、
- 笑って感謝
- 笑って説明
- 笑って済ませる
がベストの対応です。
このような食文化の勘違いは多々あることなので、その都度楽しむように心がけています。
味覚の違いだけじゃなくて、全てにおいて歩み寄り・妥協・解決方法探る努力は必要
受け入れらないものははっきりと伝える、相手の言い分も受け入れる。その中で妥協案なり解決方法を探ることは育った環境が違う二人が一緒に暮らしていくうえで不可欠です。
私が好きな食べ物をタムタムは苦手だったりするし、それを「なんで?」「どうして?」と深く考えることも意味のないことです。
パートナーは家族といえども赤の他人、育った環境や文化が違えば日常生活の中でズレが生じることはいたしかたない。
それでも一緒にいたいと思えば、少々の妥協はなんともないんですよ。むしろおもしろい。外国人との生活は苦労が多そうと思われがちですが、私は毎日楽しく過ごしていますよ。